2008年09月22日

その戦闘機はウチのサッシの「立て付け」を悪くした。

中学の教室で国語の先生が説明を始めると、その轟音はやってきた。遠くから響く地鳴りのようなジェット音である。ジェット音はやがて先生の説明の声を遮り、あらゆる音を打ち消しながら徐々に近づき、その轟音が真上を通る頃には窓のサッシをはじめほとんどのものを揺らしたあと、何事もなかったかのように通り過ぎていく。その轟音は日に何回かそんな強烈な振動とともに度々襲来した。

F-6戦闘機による低空飛行訓練。低空飛行とはあんなに低く飛ぶことをいうんだと初めて知った。(できれば一生知らないでいたいムダ知識ではある。)当然戦時中ではないので空襲警報は鳴らない、つまり予告なくあたりまえのように戦闘機は建物上空数十メートルの高度で飛んでいく。上を見上げると戦闘機の形と若干機体に描かれたマークのようなものが目視できる。

この低空飛行訓練のおかげで実家の窓サッシは随分立て付けが悪くなった。最近になってウチの親父がしきりに直そうとしてもなおらない元オカサカの部屋(現:親父の書斎)のあたりなどはこの時の影響をもろに受けたと思われる。

本当か嘘か知らないがオカサカの実家のある地域は中東の某所の地形に似ているそうで、故に米軍が低空飛行訓練の場所として使い始めたらしい。アレがその後米軍による**作戦のお役に立てたかと思うとなんだか複雑な気分ではある。

近所の爺さんがB29の話などもし始めたが、その話し中にもF-6が飛んできてジェット轟音のせいで肝心な話が聞けなかった。おそらくあの距離で飛んできて爆撃?なんてするとどうのこうのみたいな話だったような気がする。皮肉にも僕の通っていた中学は旧空軍の飛行場だった場所で戦争末期には零戦が飛び立っていたらしい。

墜落したらどうしようなどとは思わなかった。ただただ苦痛だったのは授業や友人、親との会話を轟音が遮ってしまうことと、地震のようなガラスが割れそうな勢いの縦揺れの震動だった。おかげで遠くからの戦闘機がらみのジェット音を感知する能力は随分身に付いた。

それが1980年代後半の話。

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2005年08月15日

田舎に帰る。

田舎に帰る。同居人と一緒にオカサカの田舎である長野県に帰る。やっぱり長野県はちょっと涼しい。朝晩が冷え込んでくれるのがありがたい。昨日の夕方について夕食を両親と一緒に食べる。えらい大量の食べ物を出してしまうあたりは「田舎だねぇ」というきがかなりする。ビールも飲んでいい気分になって即寝た。それで今朝は朝の7時半に起きた。親父と一緒に仏さんが天国に戻るのに乗っていく馬(野菜製:今回はナス)を2頭つくって供えた。今日は終戦記念日、中日新聞には60年前の一面が復元され、結構興味深く読んだ。

そのあと食事をしながらそれとなく近い将来の話を両親として、朝食を済ませた後に同居人がようやっと寝床から起き始めた。まあ慣れないところにきて疲れてるだろうから寝てるんだったら寝かして置こうということで、寝かしておいた。愛知のヒトからすると周りが森で山の中にたっているように見えるオカサカの実家はやっぱりかなりいいところなんだなぁとあらためて実感する。しかしこんなところがADSL発祥地でシリコンバレー?と疑問に思うくらいネット環境はなく、終始オフラインな生活だ。
昼前に雨が降ってきたので、洗濯物を取り込んだり、庭に干していた砂(これはペットのトイレ用)を親父と片付けた。片つけ終わっているころに正午の時間が来て防災無線で一斉にサイレンが発鳴した。戦没者追悼のサイレンだ。−この地方では毎年こうしてサイレンを一斉に鳴らす。サイレンの間黙祷をして家の中に入った。

投稿者 keitoc : 11:43 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月28日

あ、「うしお」だ!

「山梨・静岡突入訓練」(この訓練の説明はまたあとで)なぞに付き会おうと、moblogと格闘しているうちにmobloでオカサカにとってなつかしの「うしお」を発見した!!「うしお」とは長野県伊那市の名物「ローメン」(リンクはYOLから)の元祖?の店だ。いやローメンですよローメン。焼きそばのようなメン料理なんですが、これがマズウマ。なんともいえない味とニオイがします。ちなみにこの店で「あ、チョウチョウください!!」っていうと4人前が1つの皿に山盛りになったのが出てきます。食べないと怒られます。しかし懐かしいなぁ。これ高校のときにみんなで食べてっていう罰ゲームやったもんなぁ。

投稿者 keitoc : 08:44 | コメント (0) | トラックバック