2008年09月17日
「その地震」は僕らの足踏みとともにやってきた。
確か小学校何年かの9月、運動会の鼓笛隊をやるために全校練習が計画された。この日はあいにく雨だったため校庭でやるはずの練習が急遽体育館になった。全校児童550人ほどの田舎の小学校。小学校サイズの小さな体育館でも人間が小さいせいかなんだか知らないがぴったり収まった。1年生はカスタネット、2・3年生は鍵盤ハーモニカという感じで全校児童が例の「信濃の国」を大合奏しながら行進する。ステージ上で音楽の先生がややオーバーなアクションで指揮をする。まずは行進の練習からというので楽器をもったまま足踏みだけ始めた。「ズンズンズン…」と足踏みの音がする。さすがに500人以上が足踏みするとこんな音になるんだと少々驚きながらみんなでひたすらその動作を繰り返した。そしてその足踏みにあわせるかのように体育館まで揺れ始めた。天井の水銀灯もゆらゆらと揺れ始めた。そこは理科の実験で毎日感動のある小学生のこと、この現象も当然「スゲー揺れてるよ。体育館」と誰しも思った。
「ピー。止まれー!止まれー!。全員その場にしゃがんで!!」
周りにいる先生があわてた表情で叫ぶ。しばらくざわついた後全員がしゃがみ終えたはずが体育館の揺れが止まらない。それでやっと一連の揺れがあの「地震」だったことに気づいた。防災の日の訓練のように隠れる机もなく、防災頭巾も教室に置いたまま食らったこの地震はそれなりにショックだった。しばらく横揺れが続いたあと窓ガラスがミシミシと音をたてたが結局大きな被害はなかった。-長野県西部地震。あの日は数日大雨だったせいもあり、山の向こう側の大滝村では土石流の被害もあった。
長野県南部に生まれたせいか小学校の授業で教科教育以外は殆ど戦争と差別とダムの話だったような気がする。戦争とダムの裏返しのテーマに防災があったように思う。当時ダム教育は治水のため重要なんだという趣旨で行われていて、用水を引いて農業ができるようになった伝説や過去の豪雨災害で川の氾濫による死者が出た話などが主な内容だった。そのころ突然まちの中の火の見やぐらが新設され、防災無線が整備、近所に可搬ポンプの収納庫ができた。子供ながらにこれで空襲警報でも出すのかなと思った。(いまの配備ならそれはある意味正解だが…。)あとでわかったのだが当時は行政が可搬ポンプを配備する代わりにその管理者のような意味合いで地区側に自主防災会の組織化をはたらきかけていたようだ。
それが今から20年以上前の話。1980年代。
投稿者 keitoc : 08:29 | コメント (0) | トラックバック
2008年08月19日
カツドウ10周年。
「じゃあ僕行きます。」今から10年前、なにも考えずにその災害の救援活動に志願した。名古屋同朋大学の一室で行われた某救援ネットワークのミーティングだった。当時オカサカは大学の2年生。動機はわりと不純で「ちょっとした現実逃避」がしたかったからだ。
この日はそれなりに暑かった。当時自室のあった愛知県美浜町から電車や地下鉄やら乗ってなんで急にミーティングなんだ?と少々面倒に思いながら会議場所に向かった。当時夏休みだったその大学の構内はガラーンとしていて静かだった。部屋に入るといつもの「ネットワーク」な面々が顔を連ねている。当時のオカサカにとってはやや面倒な人たちの集まりだった。
神戸の震災や日本海の重油流出事故などの救援を、遠くであまり積極的とはいえないスタンスでしていた自分にとって、その水害のニュースもその救援のミーティングもあまり重要なことと思ってはいなかった。それよりも自分の大学に関連する周辺福祉施設にボランティアを派遣するしくみ作りの方がよほど重要だったし、それよりもアルバイトで突然命じられたデータベースシステムのクエリの勉強の方が大事だった。
「その水害」とは北関東南東北豪雨水害。1998年に栃木県北部や福島県南部に被害をもたらした水害だった。当時は災害救援ボランティアの全国ネットワーク化が強く叫ばれ、神戸の震災で実践された「**方式」といわれた類の複数のコーディネート方法がまだメソッドとして実証されていなかった頃で、神戸や大阪や名古屋や東京にいる「ネットワーク」な人たちが結構な議論や動きを精力的に行っていた頃だった。
会議の話題はたしか被害状況や関連団体の動きなど一連の説明があったあと、その栃木にある救援団体の現場でのサポート要員が不足しているため、名古屋から誰か手伝いに出てくれないか、というものだった。ボランティアの世界の話なのでもちろん強制された派遣要請ではない。
「じゃあ僕行きます。」
ちょっと沈黙が続いた後、なにも考えずに手を上げた。「気をつけて行って来なよ。」と言われ、会議は解散。オカサカはネットワークの一員のあるおじさんと一緒にミッションのための準備をした。
まずはじめにお金。これがないと何もできない。団体の口座のある銀行にいくと先に電話がしてあったのか行員さん(この人もネットワークの会員)がだまって封筒に入ったお金をこちらに手渡した。「銀行強盗みたいだったなぁ」とおじさんと会話しながら車に乗り、あとはそのお金で必要なものをそろえなさいと言われ、足りないと思しきものを一通りそろえ、自宅に帰った。この時まさか自分がこの「装備」の作業を幾度と無く繰り返す立場になるとは思ってもみなかった。ましてその装備の中にたまたまバイト用で貸与されていたノートPCを入れたのがその後を左右するとは思っても見なかった。
その運命の機種は「COMPAQ ARMADA 1590DT」。そこにMSOffice97のProが入っていて、なぜかバイト作業用にMSAccessの2.0を入れ、ブラウザとメーラと当時IEのおまけでついていたFrontPageExpressが入っていて、2つあるPCカードスロットに56Kモデムが1枚入っていた。このときKENWOODの携帯電話を持っていたが、まだそれでモバイルはしていなかったと思う。
結局そのマシンを所持していたことがいいもわるいも仇になり、現在の「ケーンオカサカ」の原型になるミッションがこのあと行われた。現地から帰ってきたオカサカは災害救援活動に情報デバイスが使えないかと考え始める。それが今からちょうど10年前。
投稿者 keitoc : 14:11 | コメント (0) | トラックバック
2008年06月23日
それでも「しくみ」は何をするべきか。
このところの一連のミッション(正確にはオカサカはあまり関わってない)が各地であって、その関連の情報がかなりのボリュームでメールなり何なりで集まってくる。最近は数年前のような人力での体力を使う意識的なまとめをしなくても、ウェブニュースで流れるものの純粋なまとめはメタ情報系のツールで簡単に投げ縄のように個人がまとめできる時代になった。情報発信の敷居もだいぶ下がったから、情報発信に関するツールもそれほど頑張らなくても多くの人が発信できるようになった。
さて、情報発信もまとめも簡単にできる状況になった現状において、あえて「しくみ」は何をするべきか。オカサカは2点あると思う。
1)戦略的な先行しての情報発信
2)予測を目的とした自動情報分析
1)は個人の技能をただのレポート的な情報発信やサマライズにとどめず、その情報を先行発信したら被災地に有用な動きをもたらすことを目的とした戦略的な動きのスキル。2)は二次災害、復旧予測などをセマンティックウェブ的に処理するしくみの先行。被災地のガイディングライトである。さらに1)は災害後の復興キャンペーンやその直後に起こる様々なイベントによってそのキャンペーンの阻害にならないような地道なものだ。一種パブリシティ戦略のようにも見えるがちょっと違う。
投稿者 keitoc : 00:12 | コメント (0) | トラックバック
2008年06月12日
「緊急発行!レスキューナウ特派員現地報告」
#ややというかかなり宣伝です。あの有珠山ネットを主催され、その後レスキューナウの特派員としていくつかの災害取材をされた「冨田きよむ」さんが今回の四川でも取材活動をされ、このほどレスキューナウから報告(写真集)として発行しました。
「緊急発行!レスキューナウ特派員現地報告中国四川大地震」特設ページ
投稿者 keitoc : 15:27 | コメント (0) | トラックバック
2008年05月19日
遺体の扱いとモーニング、そしてITは何ができるか。
最近海外の災害が多い。ミャンマーや中国など、この数週間の間に何人の人が死んだかと思うと、何もできなくなるような気分の重さになってしまいそうになる。そうは言っても仮にも災害情報が仕事にすらなっている自分の状況からして、それを避けて通るわけにもいかない。
今朝我が家に配達された新聞(サンケイエクスプレス)には中国大地震の現場で国際緊急援助隊が発見した母子の遺体に全員整列して黙祷をしているシーンがあった。記事は日本の国際緊急援助隊が礼儀正しく整然と救出活動を行うのを見たり知ったりした中国世論(特にネットの)が反日の態度を変えつつあり「日本の人格や防災や地震対応の活動を学ぶべきだ」との意見があると伝える記事だった。(もちろんそればかりではないのだろうからこの記事はこの記事で話半分にして理解しなくては行けないとも思ったが)
この記事をみてふと思ったの名古屋空港で以前起こった中華航空機の墜落事故こと。あのとき中国人の犠牲者が多い中、遺体を丁寧に取り扱った日本側の警察や消防関係者に対して遺族が感謝したというエピソードがある。国によって遺体の扱い方は違うようだが、
日本のそれはかなり丁寧な取り扱いの様だ。遺体の取り扱いは残された家族のモーニング(=喪)の作業に大きく影響を与える。家族がなぜ死んでしまったのかなど理由を理解するまでに時間がかかり、ゆっくりとそれを消化しようとしていく。遺体(の一部)がない/粗末に扱われた、などと言うことがあれば、当然モーニングの作業に支障を来す。
一方神戸の震災に対比させるように「中国ボランティア元年」を期待する人もいる。自主的に若者が救援活動に参加するような動きが国内にでているのだそうだ。おたがいさまや(良い意味での)パトリオティズムが少なからずそういう場所に人を向かわせているのだろうとも思う。政治的な「日中関係」とはちがった市民のチャンネルでの相互関係がはじまるのかもしれない。
大規模に災害が及ぶとどのようになるのか_という点においては東海地震などをふまえて日本もまた中国でのこの出来事をしっかりと傍らで支えながら見ていかなくてはいけない。建物の耐震性の悪さや様々な要因が今回の広規模な被害を引き起こしたのかもしれないが、震源から遠い場所でも被害があり、さらにその奥の地域へのアクセスが悪い_という状況はしっかりと記録/ノウハウとしてきちんと見ておかなくてはいけないと思う。(そうは言ってもまだ応急フェーズだ。まずは救助活動を応援するほかない。)
ところでITはこんな状況の中、何ができるのか。まずはひたすら記録しストレージに保存していく作業だろうか、それともどこかに伝える作業だろうか。誰に伝え、伝えることそのものに何の意味があるのか。一方で災いを避けるための「天の声」は人間の手で作ることができるとも確信しているが。今は現場のことが気になりすぎて、それについて何も考えることができない。
投稿者 keitoc : 00:02 | コメント (2) | トラックバック
2008年03月14日
インスパイアのまとめと予告編
#ここ数週間の適当エントリ単語を背景にあったテーマ別に適当にまとめる。
#やや論文チックですが、そんな難しいものは書けません(w
1)集合知と災害に関する可能性
クラウドソーシング、みんなが言っていることは案外正しい、「多他力本願」、適当に今出すこと、アクセスポイント、くだらないものをかき集める、分別再利用
2)現地情報を取得するに当たっての手法の変化・改善
「中越沖地震やカリフォルニアの山火事に見る“オンラインサービスで救う命"」、デバイスとコントローラ、集合知、「賢者」はあの人ではなくあなたかもしれない
3)災害ボランティアコーディネートに関する私見
最適化のされすぎ、マッチング重視の今の災害ボラセンはおかしいと思う
4)有珠山ネット」様の再現方法、転じて「情報を迎えにいく」方法について
リアルでないところで災害が起こる、例の中越地震の2ちゃんねるwikiは有珠山ネット様ではなかったか
5)地域活動における「間合い」とコミュニティワークについて
ボランティアはもはや組織ではない、診断主義と機能主義、「間合いをつめる」、コネクション数を増やす
さあ、週末にでも全部書くか…
投稿者 keitoc : 08:25 | コメント (2) | トラックバック
2008年03月13日
「賢者のトリガ」を超えて。
例のようにインスパイアされた感じのメモ。頭がおかしくなったと思われると嫌なのであとでちゃんと記事にします。
「賢者のトリガ」の賢者はあの人ではなくあなたかもしれない。デバイスとコントローラ。…で結局存在論のように哲学の話になる。またアレが事実上の形而上学になるんだろうね。診断主義と機能主義。マッチング重視の今の災害ボラセンはおかしいと思う。
投稿者 keitoc : 14:26 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月22日
ミッション
私たちは、あらゆる危険を回避するための「天の声・神の声」に相当するその報せを、RSSのように、ひいては空気のように、あたりまえの「環境」にしなくてはならない。
投稿者 keitoc : 18:28 | コメント (3) | トラックバック
2008年02月14日
「防災-協働のガイド」―自助・共助・公助を超えて
東京に来たことでお会いする機会が増えた練馬の高橋洋さんと、10年くらい前から現場や会議などでオカサカとやたら会っていた小島誠一郎さんが「防災-協働のガイド」―自助・共助・公助を超えてという本を出した。高橋さんのシリーズとしては「防災-訓練のガイド」、「防災-実務のガイド」に続く第三弾。「庶民研究員」津賀さんや大妻女子大の干川先生がゲストとして寄稿した。実はオカサカもゲスト寄稿した(全体からすると本当にちょっとだけですけど)。オカサカの部分はどちらかというとNPO時分に思ったことをまとめてみた感じになった。この本自体はNPOやボランティア以外のあらゆるセクタと協働するヒントがたくさんちりばめられたものになっていると思う。読み進めていると高橋さんとか小島さんって凄いなぁと終止思ってしまう。この本に刺激されていろんなところと手を繋ごうとするヒトたちが増えてくれるといいなぁ。投稿者 keitoc : 20:52 | コメント (1) | トラックバック
2008年01月20日
1.17とSecondLifeに対する「魔」。
東京に来て今の仕事をして2年がたった。以前のように1.17とは直接接点のある仕事はしてなかったが、毎年この日には何かしらの記事を書いていたような気もする。今年の1.17は体調が悪かったせいも多少はあるが何故か記事を書かなかった。特段理由はない。あの日に対する想いが薄まったわけでもない。その証拠に今年は5:45分にどういうわけかはっと目が覚めて、気がつくと手を合わせて黙祷していた。それはそうと、毎年この近辺になると何かしらのイベントが開催される。案の定、内閣府の防災とボランティアの集いに微妙に巻き込まれた。
SecondLifeを使った防災啓発?の初の取り組みとして例の丸の内でのトークショーの裏側(リアル会場)でSL上のアバターをオペレーションしながら、せっかくの機会なので「これ何かに使えないか」とずっと問い続けた。例のように幾分迷惑がられるが新技術という類のものを現場で使う方法を模索する「魔」が差す_という一連のスイッチが一瞬入りかけた。目の前のトークショーはまさにそういうテーマの会話であったはずだが、個人的にはその答えやヒントはあまり出てこなかったと記憶する。
個人的にはSLと災害防災を結びつけるラインは3つあると思う。
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1)チャリティーの開催装置としての利用
2)遠隔地同士の連絡手段としての利用
3)シュミュレータとしての利用
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どれも現状のSL上では発展途上ではあるが、
リンデンの努力とか、インフラのこれからの充実を前提にすれば
それほど難しくはないかもしれない。
1)はすぐにできる。あるならリンデンドルとの換金システムの問題か。
2)はメール、ML、チャットシステム等とどちらが利便性が良いか。
3)は災害状況や復興イメージなどを3DGIS的に利用するイメージ。
ただSLはその名のとおり「分離された世界」だからSNSやウェブGIS、メール等と違ってリアル社会とシンクロするのにおそらく相当苦労するメディアだと思う。リアル社会で起こっている事象に対し、ネット上だけが騒いでしまう状況はオカサカがもっともいやだと思うことでもある。しばらくこのまま考え続けたら何か答えも出てくるだろう。今後の脳内処理に期待して今日はここまで。
投稿者 keitoc : 23:33 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月09日
「激特事業」
「激特事業」。字面からするとまるでパチンコ屋にでもならんでいる看板の雰囲気。実際には正月に田舎に帰って見つけた広報のタイトルで、正式には「激甚災害特別措置事業のご案内」と注釈が。具体的には一昨年の長野県豪雨を踏まえて諏訪湖と釜口水門、天竜川上流を改修して天竜川水かさのキャパを50センチ上げることで諏訪湖の水かさがあがった場合にこれまでよりも早めに天竜川への放流をしようというもの。(だったと思う:違っていたら後で直します。)
仕方ないといえばそれまでですが上記に関して心配なこと2点。
1)一級河川を強化することで未整備な二級河川以下への影響が大きくはならないか。
2)工事の影響による環境破壊。アユが釣れないとか白鷺がこないとか、ざざ虫が減るとか。
あの災害で特に放流まわりの事は問題になったし、今回の「激特」もそれなりの考えがあってなされる事だと思うので異論をとなえるつもりはありませんが自分の田舎のこととしては少なからず気にはなるわけです。
もし今回の改修後に大なり小なり問題が起こるのであれば(あるいは予測されるのであれば)何らかの形で市民側からも智恵を使ってカバーしなくてはいけないわけで、個人的に役に立つのであれば私も何か…という思いがします。(たらればで具体性に随分欠けてはいますが…。)
投稿者 keitoc : 09:49 | コメント (2) | トラックバック
2007年11月17日
首都圏帰宅困難者訓練
情報本部の様子。詳しくは後ほど。投稿者 keitoc : 16:24 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月03日
東京都災害時米提供の店。
うちの嫁さんが買い物中に偶然見つけた「東京都災害時米提供の店」。知らんかった。そんなのあったんだ…。投稿者 keitoc : 18:31 | コメント (0) | トラックバック
2007年10月31日
中越沖地震やカリフォルニアの山火事に見る“オンラインサービスで救う命
ITMediaから。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0710/30/news134.html
中越沖地震やカリフォルニアの山火事に見る“オンラインサービスで救う命”
サンディエゴなどで数万ヘクタールが被災した、米カリフォルニア州南部での山火事。設備も被災し、満足に放送できない地元メディアはオンラインサービスに活路を見出したという。
コメントはあとで。
投稿者 keitoc : 11:31 | コメント (0) | トラックバック
2007年10月23日
中越地震から3年。
中越地震から3年が経った。
あの日はT21とかT23とかで多発した全国のボランティアセンターの情報を集めて今の嫁さんと整理していた。夕方に一通りの作業が終わって某ネットワークのMLに送信しようとメールの送信ボタンを押そうとした時に嫌な横揺れを感じた。多発する余震で何のことやらわからなかったが、結局中越地方で大きい地震があったと気づくと、この先何をしなくてはいけないか自分なりに真剣に考えた。案の定ネット上でも情報が錯綜し、2004年の夏から水害で動きっぱなしの僕らからすると地震に限って何でそんなにみんな過敏にリアクションするのかと理解に苦しみながらも、情報を集めながら静観していた。結局1週間ほどでまとめサイトは淘汰、消滅し、2ちゃんねるのwikiとかが生き残った。これが今で言うWeb2.0のチカラだったのだろう。
一方、今日。
今日は10.23なのにTVでもやらないし、職場ですらもその話題はでなかった。能登半島地震や中越沖地震を経た今年にとってはもう中越地震を取り扱うのは正直しんどいのかもしれない_と思わせるくらいTVでは何もやらなかった。今日が10.23じゃないかのようだ。日付間違えているかな。
投稿者 keitoc : 21:53 | コメント (1) | トラックバック
2007年10月08日
防災用品と防災書籍→
最近ご無沙汰だった防災ネタをまた再開したいと思う。ついでにアフィリエイトとかを活用してそれなりのレビューとかつけて用品や書籍を紹介したいと思っている。で第一弾は「オススメ防災用品」ありきたりだけどいわゆる防災セットを揃えてみました。続いて書籍・スポット…といってみます。さていつまで続くやら…。
投稿者 keitoc : 15:37 | コメント (0) | トラックバック
2007年09月23日
現地に関する調査項目
衝動的に書いたので誰宛にとか目的とかはたぶん一切ないのですがこういう内容が入ったレポートがあると、遠隔地のサプライ側はたぶん助かるはず。
被災地からの現地レポートは単に活動内容を記録するだけでなく、活動中の被災地とのコミュニケーションを通して取得した情報を共有・報告する意味もある。しかもそのコミュニケーションのほとんどはその後の活動展開を意識した意図的なものでなくてはいけない。賢者のトリガとなるために。
---
1.ボランティアに関する調査項目
・その日のニーズ量、シーズ量、マッチング率
・被災者の生活に関する全体的な問題点、概要
・供給されているボランティアのチーム構成
→どこの団体がどの程度きているのか
・ボランティアセンターの状況
→設置主体、運営状況、利用可能な施設設備、開館閉館時刻
・ニーズ開拓に関する問題点
・センター運営に関する問題点
・その他活動中に起こった事件・事故
→小さいものでも拾い上げる
2.地域に関する調査項目
・歴史:地域の近代以降を中心に
・宗教:特に寺社の氏子、檀家のエリア構成
・高齢化率:ニーズの出方に比例することが多い
・地理:道の幅、被害状況、交通量、交通機関など
・ランドマーク、施設の有無
→避難所との整合/不整合
・地元議員
・地元大企業の有無と地域住民の勤務状況
→ex.町の8割くらいがそこの社員だ_等
・農村、漁村、市街地などの基本的なスタイル
・地震・津波などの地域防災計画の内容
・同、被害予測
・そのまちが属する自治体の今回の災害に関する施策の影響度
→助かっている/よくわからない_程度のエピソードで可
3.ベースキャンプに関する調査項目
・マスコミによる現地の宿泊施設の予約状況(大雑把に)
・大規模スーパー、ショッピングセンターの有無
・道の駅、スーパー銭湯、温泉の有無
・スタッフの出入状況
→「Aさんは*日~*日まで」的なもの
投稿者 keitoc : 21:46 | コメント (0) | トラックバック
2007年09月17日
ボランティア情報支援 vs 情報支援ボランティア
ヒトコトだけ言うと、その支援活動は生活者(=被災者)のための情報発信なのか、援助者(=ボランティア)のための情報発信なのか、どちらかはっきりさせたほうがいいと思う。患者さんのための情報と医者のための情報はそもそも違うのだから。
どちらも間違いではないと思うが、私個人は情報そのものは人を救わないから、援助者向けの情報提供しかないと思っている。人は人によってしか救われないのだと思っている。情報にできることは援助者を確実にそこまで導くためのナビゲーションと他の援助者とのリアルタイムコミュニケーションしかない。悲しいかなナリッジの共有すらもほとんどが人対人だ。避難所のおばあちゃんの話を聴くのに、パソコンどころかメモ用紙すらもっていてはいけないのだ。
投稿者 keitoc : 23:36 | コメント (0) | トラックバック
2007年09月13日
気になる記事(BCP・被災者までのラストワンマイル)
気になる記事2つを紹介。1つはBCPにITは何ができるかというITproの特集。「BCPの策定が組織を強くする(2):IT部門がすべきこと/できること 」、もう1つはPCオンラインの「被災者までのラストワンマイル――新潟県中越沖地震とIT」。両者は似たような話に見えるが、内容は結構相反するもの。BCPの方はIT部門として何ができるかという切り口で、様々なシステムが登場し、ITができることは多いので備えとして整備をしよう_というもの(もっとも企業向きの話ですが…。)、ラストワンマイルの方は被災地ではITはあまり役に立っていなかったようだというもの。
「被災者までのラストワンマイル」の…
そのことを象徴する出来事がありました。柏崎市では、市のホームページから登録した市民に対してこうした災害が起こった際に、災害情報をメールで配信することにしています。それが今回「トラブルの元になった」(柴野氏)のだそうです。15分~1時間ごとに情報を配信していたら、「こんなたくさんメールを送るな。電池が切れて連絡したいところにできないじゃないか」など、たくさんのクレームが来てしまったのです。そして、メール配信を地震発生翌日にはやめてしまいます。「よかれと思ったことでさえ余計なお世話となり、迷惑になってしまった」(柴野氏)。
というあたりは結構身にしみますな。
で、結局何の問題かというとケータイ電話の電源確保の問題になる。「手回し充電器持ちましょう…」と。このBCPの記事と被災地の話のギャップは今後結構な課題になりそう。
投稿者 keitoc : 21:56 | コメント (0) | トラックバック
diblog(=disaster-blog)、再び。
ここのところ、体調が思わしくなく不調だった。不調の中、「そもそも何のために今のシゴトをしているのか」とよく考えた。
オカサカの作った造語に「diblog」(=disaster-blog)という単語がある。これは災害復興に役に立つためのブログの運用と、それを支えるプラグインと、キャンペーン等をいう。周辺技術に「情報洗濯機」と表現していたフィルタリング機能の話をしたような気もする。「diblog」は数年がたって具体なものから概念的なものに変わってきている気がする。当時形のあるものとして表現していた「ブログ」という単語すらもいわゆる「2.0」とイコールな話だったのかもしれない。
災害情報や災害ボランティアの中では「ブログ」はどちらかというと問題視されている。「災害情報はまとめられてできれば一本化すべきで、拡散は抑えなくてはいけない」という考えによるもので、拡散のうえに有機的な予測不能なつながりをし、核分裂的に分解までする「2.0」は脅威にすら感じられるのだろう。
ただ、SNS、ブログ、ソーシャルブックマーク、Wikiなどに代表される2.0システムはすでに浸透していて、携帯電話とのつながりからパーソナルな情報発信としてのツールどころか体の一部(ものをしゃべる口の外化したもの)になっている。ここに発信される情報はごみも多いが有用な情報も多く、情報をまとめたい側の人間としては「喉から手が出るほど」欲しい、宝石の原石のようなものだ。
「脅威だと言われている一方で原石でもある矛盾したこのギャップをどう埋めるのか」
_まちがいなくそれが「課題」だ。
アプローチに2つあると個人的には思います。
1)「有機的な予測不能なつながりをし、核分裂的に分解までする「2.0」をバイオ技術的にとらえ、「セマンティックウェブ」的に自動で「情報洗濯」する方法を考える。
2)SNS的な人間のつながりを利用して「情報まとめボランティア」的な人間グリッドコンピューティングをやってしまう。(twitterの書き込みとかmixiの日記書くパワーで発電とかできないか_とたまに思うので…、P2P地震情報とか、twitterで安否確認とかあったなぁ。)
個人的には2)のほうが得意分野ですが…。
なんかウヤムヤですが単純なツールとかできないですかね。
(↑誰にいってるんだ?オマエは。w)
ニフティの地域支援コミュ×ニフティウェブサービスとか。
投稿者 keitoc : 00:30 | コメント (2) | トラックバック
2007年09月08日
町内会は「糠床(ぬかどこ)」?
喫茶店で嫁と珈琲を飲みながらある町内会の防災訓練の話をしていたら「町内会って糠床みたいなものかもしれない」という話になった。つまり自身では勝手にかきまざらないが、かきまぜないとダメになってしまう、という意味だ。確かにそうかもしれない。
NPOやボランティア関連の人が使う単語に「巻き込む」というのがある。これはその活動に対してボランティアさんや当事者、あるいはその周辺の人たちを問題に対して介入させることをいう。町内会は普段活動で通常精一杯なため、それだけをこなすことで安定しようとする。その安定をそのままにしておくと形がい化_となる。
そういえば糠床ってかきまぜないと腐るんだっけ?しかも1日1回か、かき混ぜるのは。毎日かき混ぜないと腐る。かき混ぜればずっと何十年もいい糠漬けができる。それって古臭い言い方かもしれないけどいいたとえだと思う。問題は「かき混ぜる手」。現実には何に当たるのか...だ。
災害そのものが「手」になる可能性もないことはない。でもそれって糠床どころか容器まで壊してしまう。災害の何が怖いのかと言うと、建物被害はもちろんだけど、その町の問題があからさまにカオを出してくること。隠れていた問題が顕在化してしまうこと。そのためにいがまなくてもいい人たちがいがみ合ったり、巻き込まれなくてもいい人たちが巻き込まれたりする。そう考えると災害は「かき混ぜる手」ではないか。
投稿者 keitoc : 21:39 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月31日
ニフティ「ネット防災訓練」と「地域活動支援コミュニティ」。
ニフティがレスキューナウと「ネット防災訓練」を今年もやる。携帯からの投稿窓口なんかもあって、昨年よりも賑やかになりそうだ。この記事がめにとまったかたもぜひ投稿者として参加されてみては?ねらいとしては全国の被害情報や救援情報をみんなでシェアしあうのが目的ではないかと勝手に思っている。 一方で昨日からオープンした「地域活動支援コミュニティ」。これにも同じような意味がある。こちらはどちらかというと地域や地元といったものを大事にしつつ、地域間の情報シェアまでねらうことで、ご近所の底力的コンテンツやバーチャルなものをリアルな地域にコンバートしたり、災害の時のまとめサイトにならないかなあとこれまた勝手に期待している。(お、批評ばっかりしてないで仕事仕事…。)投稿者 keitoc : 13:43 | コメント (0) | トラックバック
2007年07月20日
中越沖地震の件でヒトコトだけ。
中越沖地震の日からオカサカのコンディションが悪いのでメッセージとしてヒトコトだけ。GoogleMapで「新潟県 レスキューナウ 中越沖地震」とググれ。
投稿者 keitoc : 19:38 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月31日
rescuenow@niftyブログパーツ

先日紹介したケータイ用防災情報ページ「防災@nifty無料」に続き、rescuenow@niftyページの情報を自分のブログに貼り付けできるブログパーツが出ました。うーんこれはいい。防災関係のトピックを扱っている方はぜひブログに貼ってみてはいかがでしょうか。
投稿者 keitoc : 17:05 | コメント (2) | トラックバック
2007年05月27日
宏観異常現象とリスクコミュニケーション。
「宏観異常現象」。情報のやりとりでデマや行き過ぎを防ぎたいオカサカとしてはあまり触れたくなかったテーマではあったが、最近偶然にもシゴトがらみでこの単語を目にすることが多くなったのでちょっと考えてみた。
ちなみにオカサカはサブタイトルからもわかるように個人的には特撮が好きだ。よって微妙に怪奇大作戦とかもまじめに見てた時期がある。そういう意味では宏観異常現象みたいなものを信じたかったり、ちゃんと調べたかったりもする。被災地で住民さんに話を聞くと災害の時のエピソードに混じって「雲の境目が」とか「山から動物が数日前からいなくなった」とかそれらしき証言もあるにはある。
でも今のところ根拠はきちんとはなさそうだし、ましてやそれを基準に行動やら投資やらするという風にもなっていないので、利用するには発展途上だとも思う。
一方で無視できないのは一連の宏観異常現象を共有するコミュニケーションの多さだ。これは単純に不思議なものにひかれる人間の習性なのかもしれないが、地震雲の話をすると妙にその話題で盛り上がるのも確かだ。無意味に騒いだり怖がったりすることは防災上当然ナンセンスだが、こういう妙な盛り上がりをリスクコミュニケーションのトリガにできないかとふと「魔」が差した。
投稿者 keitoc : 15:22 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月05日
うぉ、立て続けに地震。
河口湖から東京の家に帰ってくるなり震度3の地震が立て続けに小笠原と上越で発生。オカサカのケータイは震度3からメールが来るようになっているので何通かのメールが何本かのケータイに一気に押し寄せた。最近地震が多いというものの、震度1~2程度の地震は結構日常的にあるもの。先日の能登半島や三重以来、いやそれ以前も地震情報には結構(というかかなり)神経質になっている。2日の夜に震度4の地震が能登であって、それ以降平和だなぁと思いながら河口湖でリラックスしていたら、帰ってくるなり今日の立て続けの地震。いろんな意味で大きな地震のないことを祈るばかり。もちろんそれ以外の安全も祈るばかり。
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2007年04月01日
「足湯」と災害情報
そういえばうちの会社のある社員が「今回の地震のボランティア情報に『足湯』って単語があるんですが、なぜ足湯なんですか?」と訊かれた。災害ボランティアを長らくやっている人には「なんだその質問?」と思うかもしれないが、一般の人にはただのサービスのひとつにしか見えず、「なぜ足湯か」なんて疑問もわかないかもしれない。そういう意味ではこの質問はなかなかするどい質問_ということにはなる。
「足湯」- 結論から先に言うと被災者からニーズ情報を主とした主訴を聞き出すためのツール。副次的な目的としてはエコノミークラス症候群の検知のために足のむくみを確認する。あるいは避難生活で疲労している被災者をリラックスさせることそのもの。
意外とわからないものだが、困った人ほど困っている状況を把握できていない。被災地で言えば困ったことが多すぎて把握はしているもののどこから話したらいいかわからない、整理されていない。避難所にアンケート用紙を挟んだクリップボードをもっていって「困ったことを書いてください」「困っていることを聞かせてください」などといったところで誰も書かないし、話しもしてくれないことが多い。こういう時に困ったことをきちんと言えたり書いたりできるのは実は相当神経の図太い人だと思う。
通常よく温泉場にある足湯は大きなスペースに大量の湯をいれて勝手に入ってもらって勝手に出てもらう形式。
避難所の足湯は聞き出しツールとしてそれではいけない。わざと1人で足をつける大きさのたらいに湯をいれ、マッサージ役のボランティアが1人ついて足マッサージとセットにする。これで足湯となった瞬間に自動的に「1対1」の構図を作り出せる。マッサージ役のボランティアが体調面から自然に話しかけることで体調不良のような具体的なニーズから入り、その後生活面のニーズへと話を進めることができる。同じ構図は足湯でなくても普通のマッサージや整体などでもいけるが、これをやるにはある程度熟練したテクニックが必要になってしまう。足湯マッサージはそれよりも敷居が低く、大量素人であるボランティアには非常に向いている。同じことは水害被災地でタオルを配ってあるくとかいろいろある。
災害が起こったら活動を始める前に情報を集めることが必要なのは随分認知されてきた。しかし被災地・者から聞き出す方法はまだ発展途上だったり、結構ぶしつけに「いかがすかー」的にたずねてしまっていることが多い。長期戦の支援なればなるほど、困っていること以外にその地域の昔話や文化、方言、宗教や勢力バランスなど理解しなくては救援プロジェクトが頓挫する確立が高くなってしまう。そういう意味では足湯は強力なセンサーの一形態となる。
投稿者 keitoc : 11:17 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月12日
連休だったので避難してみた。
昨日、連休3日目でそれなりに時間があったので「避難」してみた。「避難」とは別に遠くに旅行にいったとか、現実逃避したとかそういうのではない。我が家のいわゆる「指定避難所」となっているところを歩いて回ってみた。我が家には区に指定された3つの指定避難所がある1つは「一時(いっとき)集合場所」、2つ目は「避難所」、3つ目は「広域避難所」。ストーリーとしては一時集合場所から避難所に逃げて、しばらくしたら広域避難所に移動する_ということのようだ。ためしに嫁さんと歩いてみる。まずは自宅から徒歩3分ほどの小さな公園。周りが住宅地で大丈夫か?という感じ。普段は子どもが遊んでいて昨日僕らが行ったときはなんと桜の木に3人ほど子どもが猿のようにのぼっていた。そこからあるくこと5分ほどで「避難所」に。ここは近くの小学校。某大学病院の前で最近立て替えがあったばかりなのでいざというときはちょっと安心。でも建物が小さめで収容能力に疑問。そこからさらに歩くこと35分ほどで「広域避難所」に。そこは某大学。昨日は電車の沿線をあるいてまっすぐ歩いたし、途中で喫茶店に入ってお茶飲んだりしたので普通にさっとついたがこれが嫁ひとりだったり、周りが火事だったり、道路がとおれなかったりしたら随分苦労して向かわなくてはいけないんだろうなとリアルに想像。ちなみに避難はここで終わり。せっかく歩いたのでもう少し足を伸ばして自由が丘に行って買い物やら食事やらして電車で帰った。
投稿者 keitoc : 18:32 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月21日
人材不足で思うこと
KOBE後、ボランティアとして活動した大学生・高校生世代がNPO・NGO・ボランティア団体のスタッフとなり実働主力になった。これはKOBE時またはその後の災害で市民活動を牽引するオトナと高校生大学生ボランティアが一緒になって試行錯誤の体験をしてきた結果である。KOBEから10年以上経つ現在、KOBE後スタッフ化したこの層が30代となり、結婚や出産等ライフイベントを迎えることで市民活動セクタでの専従や協力が困難となるケースがあり、それに伴う災害現場で調整や情報収集作業にあたる人材が不足することが予想されている。(続きは後で気が向いたら書きます。)
投稿者 keitoc : 18:16 | コメント (1) | トラックバック
2006年12月19日
防災@nifty無料
少々宣伝。あのニフティが防災専門のケータイサイトを開始しました。「防災@nifty無料」詳しくは→http://rescuenow.nifty.com/mobile/いまのところDoCoMoのみ対応。災害情報や帰宅支援マップなどもある。個人的には口コミ情報を積極的に集めるあたりは(投稿の内容が)結構見ているだけでも面白いと思う。投稿するともっと面白いかもしれない。
投稿者 keitoc : 22:01 | コメント (2) | トラックバック
2006年10月28日
65億人のサバイバル。
今週も科学未来館に行ってみた。企画展の「65億人のサバイバル」が目当てだ。サバイバルとは言うものの、この企画展自身は防災とはあまり関係ない。フード、道具、住環境、エネルギー、コミュニケーションの5つのテーマで扱われた展示は人口が増えすぎて地球がそれに耐えられないとか、食糧供給のバランスが悪いとか、バイオマスの活用、地球上に張り巡らされた衛星情報網など様々な問題提起をしていた。テーマはずいぶん重いが、展示そのものはきれいでわかりやすいのでさらっと見れてよかったと思う。投稿者 keitoc : 19:49 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月06日
首長サミットin中越
出張で長岡にいる。「安全・安心まちづくりワークショップ」(http://anshin-ws.net)というイベントに参加するためだ。今日はそのプレイベントにあたる首長サミットが開催された。ここでいう「首長」とは中越地震エリアの市町の市長、町長と、県知事のこと。顔ぶれから議論がどうなるのか注目していたがとてもエキサイティングな内容だった。震災時の苦労や震災後の取り組む課題などはっきり見えているようだった。「実践的なマニュアルがなくて苦労したのでそういったものを作って全国に発信したい」と言っていた長岡市長の発言が特に印象的だった。「マニュアルなんて…」という話もあるが、どちらかというときちんと検証して神戸のさらにアドバンスな情報を発信したいという意気込みが印象的だった。
投稿者 keitoc : 23:04 | コメント (2) | トラックバック
2006年09月13日
三宅島から帰る。
投稿者 keitoc : 18:35 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月26日
「おそるべし名古屋」防災のツボ。
昨日、内閣府の防災ボランティア活動検討会に参加した。議論としては前回よりは深まったのではないかと思っている。夜は次の日が土曜日なのをいいことに皆で呑みまくった。メンバー同士の距離感が、最近とみに短くなっていくのを感じる。
さて日が変わって今日は土曜日。名古屋栄のオアシス21で開催された防災フェアに顔を出した。行政、企業、ボランティア、大学などが出展していた。ボランティア関係者や気象関係者に顔を出して名古屋をあとにした。
防災はやはり意識付けのための啓発や教育につきると思うが、そのための教材などを開発するような「モノにおとす」活動が発達しているのが名古屋の防災のような気がする。
「モノづくり愛知」ーー人の話を聞くのでも訓練でもなく、ノウハウを染み込ませたモノを用意し、それに触れることで「百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず」を実践する。ノウハウはモノの形で関係者にアップグレードされながら広がっていく。これはリナックスのようなフリーソースの発達の仕方にも似ているかもしれない。まさに実体がともなった自由行動はムーブメントを生み出す。
投稿者 keitoc : 17:10 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月15日
東京停電。
昨日の夜、嫁さんの実家のお父さんと酒を呑んでいて、すこしボーっとしながら目を覚ますと、首都圏大停電のニュースが流れていた。関係のない仕事をしているわけではないので愛知はなんでもないということを報告しながら、遠巻きにTVなど見ながら仕事がらみのことをした。作業して数時間後、復旧のニュースが流れ、手を止めて元の夏休みに戻った。その後、一息ついて3年前の記憶が一瞬甦った。「ブラックアウト」である。
「ブラックアウト」(the blackout)とは3年前にニューヨークで起こった大停電である。あの日は一日中停電し、皆徒歩で帰宅したり車で乗り合わせしたりした。日本ではちょうどblogというものが認知される少し前の段階だった。あの日もちょうど日本で言うお盆休みだった。
当時こんな記事を書いた。
一方で、ケータイはパーソナルであるがゆえに通常発信される情報もパーソナルで、通常は「非用件」つまり何か目的があっての連絡ではない「くだらない・たわいない」情報が多い。そうした中で、フィルタリングや情報の表現方法の議論はBlog以前にこれまでも行われてきた。
しかしどうだろう、ためる場所がきちんとしていれば「塵も積もれば」もありうることを今回のケースは教えてくれているような気がする。これは「分別回収をすると資源になる」というゴミの処理方法に似ている。
この記事はオカサカが災害でブログやモブログが使えると確信したその日の記事だった。
今朝の停電がひと段落した後、今日一日ずっと考えていた。「あれから実は何一つ変わっていないのではないか」。一人一人の人間から情報を吸い上げる仕組みが災害においては3年たった今も少ないことに気づいた。技術が進んでいるIT等の環境のすぐそばにいながら、これだけ変化がないのはかなり問題だ。
そういう時のための「受け皿」のシゴトは過去にもNPO活動でやっていたような気もするし、今の職場になっても随分やったように思う。でも足りない。
人間生活に密着して空気のようになるウェブの存在を「ウェブ2.0」と代名詞化されて久しい。それ系の技術や企画はかなり進み。いまや変わったことではなく当たり前のような存在になっている。このながれに「災害が起こったら**にポストするでしょ?あたりまえでしょ?」と言わしめる「災害情報の器」を組み込まなくてはいけない。
そう思ってイライラしながらコメダコーヒーでコーヒーをのみ、名鉄に乗り、東急ハンズで買い物し、三省堂で立ち読みをして、嫁のお父さんとまた酒を呑んだ。しかしオカサカのアタマの中にはその悔しさ以上に今日は何も残らなかった。オカサカは最近特に技術的に変わったことを考え出すことを要求されているような気がする。
投稿者 keitoc : 00:03 | コメント (2) | トラックバック
2006年08月14日
愛知帰省。そしてコメダコーヒー。
今日から夏休みなので、嫁の実家である愛知県に昨日帰省した。今朝東京の大停電があったので朝食をとりながら少しだけ仕事した後、コメダコーヒーに向かう。やっぱり愛知の夏はコメダでしょ?というノリでしかないが、久しぶりに行くと妙に新鮮さを感じる。写真はアイスコーヒーの上にソフトクリームがのった「クリームコーヒー」。投稿者 keitoc : 11:32 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月25日
長野より帰還
投稿者 keitoc : 17:14 | コメント (4) | トラックバック
2006年07月21日
オカサカ現場へ。
投稿者 keitoc : 13:17 | コメント (2) | トラックバック
2006年07月20日
伊那市役所の情報整理
今回の水害で伊那市役所の情報発信は秀逸。すばらしいの一言につきる。
http://www.inacity.jp/saigai/kinkyu.html
作成者の頭の中に発信する情報カテゴリと情報配信フェーズがそれなりに整理されているように見える。詳しくは後日コメント。
投稿者 keitoc : 20:01 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月19日
長野県でも大雨
オカサカの実家は長野県伊那市だが、ちょうどその実家のエリアに避難勧告が出た。ここ数日降り続く大雨の影響だ。そういえば子どものころよく通学路が崩れたり、学校までの坂が地崩れで通れなくなって休校したり、結構デンジェラスだったよなぁと思いながら、実家の心配をする始末。大丈夫かなぁ。地元の情報源は適宜ウォッチします。
[NHK長野放送局]
http://www.nhk.or.jp/nagano/lnews/01.html
[伊那市HP]
http://www.city.ina.nagano.jp/
[伊那市緊急災害情報]
http://www.city.ina.nagano.jp/saigai/kinkyu.html
一方で、石川、福井、京都、新潟なども大雨の被害がでており、こちらについても常時ウォッチしています。
投稿者 keitoc : 01:19 | コメント (1) | トラックバック
2006年07月04日
ゆるやかなモジュール「ウィジェット」
先週の金曜日に、内閣府の防災ボランティア活動検討会に出席する。開催自体が久しぶりだが、所属が変わってから初めての検討会だったので少々スタンスに戸惑いながら、そうはいってもこの身分になって半年以上たっているのでそういう状況にも慣れながら出席させていただいた。出席して同じ検討会の委員の皆さんを見て思ったこと。「ああ、やっぱりオカサカの原点はボランティアなんだなぁ」。この検討会はいろんな立場の人がいて、地域も持っているテーマもそれぞれ違うのだが、何かを成し遂げるあるいは何かの問題(たとえば現場でボランティアが出くわす危険やリスク)を回避することを真剣に考える人ばかりが集まっている貴重な場所だ。そういった中の一員に加えていただいていることはありがたいことだし、刺激になる。
刺激になったついでに検討会中に頭の中で勝手に妄想に近いさまざまなことを思い浮かべる。金曜日に思いついたのは(思い出したのはといった方がいいかもしれないが)2つある。1つはディブログ。そう中越地震の時に一般の人が情報発信役を担おうとしたときにガイディングライトになるツールの概念だ。2つ目は全国災害ボランティア情報データベース。これも2004年のT23や中越地震のときのものだが、やりっぱなしで結局未完成で閉じてしまった。
この中越地震前後に中途半端で終わってしまった概念をきちんと整理して一種形にしようと考えたのが、オカサカの元々の転職理由だった。何も業務ですべてやる必要はなく、個人的にやボランティアベースでの実施も可能だ。でもそこをあえてシゴトとしてきちんと形にすることをしてみたいと思っている。そのためにはいかんせんスキルが足らないので、一見関係ない仕事をしているようでそういうための準備や勉強ををしようと思ったのがこの半年だったように思う。
例の検討会と時を同じくして始まったのがMT3.3の正式版リリース。「タグ」「フィード」「ウィジェット」となにやら2.0ライクな単語が新機能紹介に並ぶ。2.0は新しくもなんともなくて、21世紀型の市民活動や社会生活が単にウェブに外化されたものだとオカサカは勝手に解釈している。そういう意味ではより人間くさくなったのが2.0だ。人間くさくなった分、「その人間の間違い」がもろにウェブに反映するようになる。経験は間違いの積み重ねで増えていくものだが、災害時にいくらウェブ上のこととはいえ「交通事故」は起こしてはいけない。間違いを防ぐ仕組みを技術的に突き詰めるともしかしたら「ウィジェット」という形もアリなのでは?と考えた。
投稿者 keitoc : 08:05 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月22日
あ、「災害情報コーディネータ」だ。
投稿者 keitoc : 07:49 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月15日
大地震死んではいけない!間違いだらけの「常識」にだまされるな!
そういえばこのブログでまだ転職した会社がどこかを明確にしていなかった。オカサカは危機管理情報会社「レスキューナウ」に今、所属している。NPOとはちょっと違うところでこの分野に向き合ってみたい、と思ったのが転職のきっかけだった。その転職からもう3ヶ月以上がたった。さて、このたびそのレスキューナウが防災本を出すことになった。あの「レスキューナウ」がウェブページから飛び出して書籍になったインパクトは個人的にはかなり大きい。いや、個人的でなくてもこの本は防災本としてインパクトがある。「自社の書籍だから」という部分を差し引いてもこれは正直、いい本だと思う。まだ本の形をしていなかったとき、「オカサカさんこれ読んでみてください」と原稿を読んだときの率直な感想が「1冊で収めておくのはもったいない」だった。「NPO時分にこれがあったら防災講座とか結構ラクにやれただろうなぁ」とも思った。オカサカとしては全国にいる防災ボランティアの人たちに、この本を防災講座のネタにぜひ使ってほしいと思っている。中身についてはあえて触れない。だって売り物だから(笑)。
投稿者 keitoc : 23:34 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月07日
久しぶりに防災ページを巡回する。
今日仕事を自宅に1件持ち帰ったのでパソコンで作業をしていると、ブラウザのブックマークで最近あまり使っていないフォルダ「防災」にふと、目が向いた。だいぶ前から保存していたリンクが多いが、前職のときにずいぶん使っていたが、最近は全くと言っていいほどみていない。
で、そのリンクを適当にクリックする。ページを見る。するとかなりのページに変化があることがわかった。
発見その1:Allabout Japan の防災カテゴリに新しいガイドさん登場。
発見その2:玉木さんの「防災グッズ体験レポート」がいつのまにか
「市民防災ラボ」になっている。
その他、消滅したサイト、相変わらずなサイト、そこそこ変化のあるサイトなどあったが、いや上の2つは正直驚いた。
Allabout Japan の防災カテゴリの新しいガイドさんはどうやら防災NPOの理事さんらしい。よくわからないが、ガイドさんがかわっただけに、リンク集やコンテンツにずいぶん変化がある。前のガイドさんは確か消防設備の専門家だったから、そういう意味では市民防災寄りになった感がある。
玉木さんの「防災グッズ体験レポート」は結構歴史のある面白いサイトだったが一昨年に本を出したことにより、防災専門家として取り扱われ、結構いろんな地域で防災講演などしているらしい。本を出版するということは結構人生を変えるものだなぁとあらためて実感。本格的に打ち込む感じが新サイトから感じ取れた。
しかし、このサイト(kennokasaka.com)は更新があんまりないですねー。(自爆)。
投稿者 keitoc : 23:45 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月28日
災害情報学会シンポジウム「情報の出しかた・受けかた・活かしかた」
東大武田先端知ビルで行われた災害情報学会のシンポジウム。パネルディスカッションと事例報告を組み合わせた感じで話題が進んでいった。災害の情報だけに焦点を絞って話を聴くことは少なく、やはりこの学会ならではだなと思う。昨日の7.23地震などいろいろな災害の事例をだして話がされた。
パネラーにはマスコミや研究者、鉄道、行政関係者が議論していたが「(交通復旧など)見込を早い段階で伝える」「プロセスを細かく伝える」「代替する方法(電車の振替など)を伝える」「個別のニーズに応える」等がキーワードであったと思う。
一方で活かしかたについては、情報が氾濫する中で個々人が、どうやってそれを活かすのかは個人のことだけに自助努力しかない。といった感じだったと思う。投稿者 keitoc : 22:45 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月22日
防災とボランティアのつどい
両国の国際ファッションセンターで行われた防災ボランティアの交流会。玄人も素人も入り交じるかなり独特の雰囲気だった。昨年の被災地の活動報告からはじまり、午後は分科会。前職で付き合いのある人がかなり参加していたので、転職したことをひとりひとり報告。びっくりする人もあれば、話が次の段階に進んじゃっている人までいろいろだった。いままでかなり参加していたこういった会だが、立場が変わったために、少しスタンスに戸惑っている自分がいる。投稿者 keitoc : 15:59 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月17日
東京で震災11年を考える。
今日は震災11年。毎年5:46分はNHKのTVを見て、神戸の人たちと一緒に合掌&黙祷をしている。この動作は神戸のためというよりは、自分自身の防災活動がこの1年、妥当なものであったかを確認、いや反省する意味がある。
考えれば、この震災の何年かあとにこの手の活動をライフワークにしようと決め、今に至っている。いつの間にか「年」というくくりを「1.17〜翌年1.16」で考えている節がある。去年は特に自分自身に変化のあった年だった。結局、東京でも防災災害分野の仕事をしている。そういえば一緒になった妻も、大学の頃一緒に災害の活動をした仲間の1人だった。
「もうこの道から外れることはできない」と思い、気持ちを新たにする今日、1.17の日。
投稿者 keitoc : 06:08 | コメント (3) | トラックバック
2005年10月15日
最近の救命講習。

仕事で救命講習の場に立ち会うことになった。救命講習といえば人工呼吸と心臓マッサージ。しかし最近はもう一つ増えた。それがAEDだ。簡単に言うと電気ショックで心臓を動かす機械の簡単操作版。電源を入れれば機械から音声ガイダンスが流れ、その通りにすれば操作ができる。ちきんと操作できる人が増えるといいなあ。
投稿者 keitoc : 15:13 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月11日
豊橋DIGとトヨタグループ災害Vネット訓練
10日、朝から豊橋で災害図上訓練の講座をする。オカサカとあいち防災リーダーの皆さんとで講師をつとめる。住んでいる場所と豊橋はちと遠くて悩んでいたら、偶然同じ地区でよく防災活動をしているおばさんから連絡が入り、彼女の車に同乗させてもらうことになった。朝9時半から準備にはいり、参加者を迎えて講座は滞りなく終わった。この講座は今回の会場で実は5箇所目で、尾張地区




