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2011-09-11

  • Posted by: Keitoc
  • 2011年9月12日 04:30
  1. twitterのFacebook連携がいつの間にか止まってた。
  2. 高校に入って間もなく、小学校からの友達で中学で放送ジャックを起こしたひとりだった彼が、交通事故に遭った。人工呼吸器で暫くいた後、数日後に亡くなった。彼の父親は、息子はX JAPANが好きだったからと、脱サラしてCDショップを始めた。店名に彼の名前を付けた。
  3. 一年半ほどの「改革路線」とやらは功を奏し、中学は平穏になった。少々つまらなくなったので、せめて校内放送ぐらいは、と自由化方針になった。時代は湾岸戦争の頃。随分と勝手なオトナごっこだった。
  4. 校内は大変危険に満ちていた。爆竹の火薬を使った購買の強盗事件とか、枯葉置き場のボヤ騒ぎとか、教師と連中の暴力事件とかあって、警官がその度にやって来て多い時は20人くらい一斉補導してた。
  5. どういうわけか、一般でいう学級委員は「代議員」といわれてた。生徒会長率いる彼らの集まりは「代議員会」と呼ばれ、他の委員長とのそれは「執行部」だった。荒れた学校を浄化するのだと改革路線を突き進む。後に僕は学校放送でその片棒を担ぐことになった。
  6. 中学の授業中、どこからともなくエレキの音が廊下に響いた。勿論彼らはスリルを味わいながら練習してただろうから、もうそれはそれは下手だった。
  7. ジャックされた放送室の前は、 金八先生のあのシーンさながらだったが、連中には特段主張などなかったので、僕個人は放って置いた。サザンかけたりして昼の学校放送をジャックしてたのはむしろこちらだっただろうし。
  8. 中学の頃、学校放送を任されていたので、授業と部活以外はほとんど放送室にいた。テレコでひたすら番組を作ってた。後輩に引き継ごうと居座るのを控え始めたとたんに、愛すべきヤンキーな連中に放送をジャックされ、校内にX JAPANが流れた。今思うとなかなか粋な行動だった。
  9. デイリー・ケーンオカサカ 紙が更新されました! http://t.co/1E4hX4t ▸ 本日トップニュースを提供してくれたみなさん:@teru2yoshimura@rockettwiter@bsshop@ganso_nozarashi@tr_aces
  10. まあ、自身がオトナになった今でも滅茶苦茶な愛すべきオトナに囲まれてるけどw RT@nagasaki_ryo: 岡坂の回想で僕のルーツ的なものがよく分かったよ RT <今のオカサカの「なんでもありだ」感とデタラメな思考パタンは、そういう滅茶苦茶な愛すべきオトナたちがつくった…
  11. そうだな。担任の彼にはいろいろ報告しないといけないことがあるし。 RT@nagasaki_ryo: 今度飲んで話聞こう!岡坂もおいで! RT@kenn_okasaka: Mくんに訊けば何でも分かるんじゃない?
  12. Mくんに訊けば何でも分かるんじゃない?しかしあの人、随分な偉いさんになったな。 RT@nagasaki_ryo: < おおお、そうそう。フェンシング界の重鎮だね。そこまですごい人とは!
  13. まあ、いろいろ回想したものの、今のオカサカの「なんでもありだ」感とデタラメな思考パタンは、そういう滅茶苦茶な愛すべきオトナたちがつくったアレだということです。
  14. 僕はまさにナナロク世代だけど、まさかあの農協有線の黒電話が日本初のADSL(正しくはxDSL)になるとは思わなかった。同じころばあちゃんが普通にバスでICカード使ってた。情報技術吸収能力の高さという意味であの地域のヒトは多分日本一に違いない。
  15. @nagasaki_ryo ちがったっけ?多分この理事欄、彼でしょ? http://t.co/9OU2MZN
  16. 数学教師は突然「なぜ輪廻転生はあり得ないのか」の話をしはじめたり、日本史教師は戦中に高校であった民主化運動の話をし始めた。そんな滅茶苦茶な講義内容でしたので「世界一受けたい授業」を見ても実はあまり驚かなかったりする。
  17. !あったあった。 RT@nagasaki_ryo:@kenn_okasaka 確か、あまりうまく教えてくれない数学の先生が担当だと、「何か分からないことあるか?」とか、隣の席の先生が教えてくれたことあったな。…
  18. 現代文の教師は夏目漱石の「こころ」の単元で、この話は三角関係の小説であることをまじめに解説してた。音楽教師はジョンケージの「4分33秒」とかブルガリアンヴォイスを僕らに聴かせてた。書道の教師は今でいう武田双雲みたいな指導法だし、体育教師で担任の彼はフェンシングの元日本代表だった。
  19. @nagasaki_ryo おかげで大学の時になると、楽で楽でw
  20. 僕のいた高校には「職員室」がない。代わりに「**科研究室」っていう教科ごとの職員部屋があった。担当の教師に質問に行くと、隣のセンセが「**さん、それ僕違うと思うんだけど」って教員同士の議論になったりした。僕らはそれで正解なんてものは世の中には実はないんだと知ることになる。
  21. @nagasaki_ryo そうね、センセらは教科書まともに使わなかったもんな。
  22. 高校、新聞部が新任の生物教師に「先生趣味は?」と訊くと彼は「ん?インコの生産」と答えて記事になる。その隣の先生はアフリカツメガエルを大事に飼ってた。その頃の僕らの受講は大学並みの学習単位選択制の初ケースで、その約十数年後に「君らは失敗作だったかもしれないw」と吐露される。
  23. 高校、逆に前の日と同じ服を着てたりすると、教師が「お前、どっか泊まってきたのか?」と訊かれるくらいだった。英語教師は大学講師みたく板書がめちゃくちゃだし、国語教師は単元の小説の教科書に載っていないドロドロのシーンの話をするし、生物教師は1人1つは学内で動物を飼ってた。
  24. 制服廃止は「毎日同じ服(=制服)を何も考えずに毎日着るのは、学徒として怠慢である」という主張が受け入れられたもの。自由な校風とは実は何でも生徒で自治しなくてはいけないというある種の煩雑さを生み、実は結構面倒だった。スキンヘッドの奴もいたし、人民服を着てたのもいた。
  25. 高校は旧制中学の進学校というところに入るが、自由な校風が自由すぎて凄かった。私服だったが、生徒手帳は一応あって、たしか7曲もある校歌&応援歌と、制服廃止が決議された生徒総会の議事録抜粋とちょっとだけ校則があった。校則の中に「下駄をはいてきてはいけない」というのがあった。
  26. その中学になぜか「はだしのゲン」の中沢啓治氏がやってきて、広島の原爆の話を僕らにしていった。別の日、教務主任の先生が「日本の学校になぜ掃除の時間があるのか」という話をする。その傍らで美術の教師が雑誌「アイデア」を手に取って「ハイパーリアリズム」の話をアツく語ってた。
  27. 中学の頃、学校は荒れていた。松本の刑務所学校から校長が着任すると「警察署がすぐ下にあるのでこれからは何か起こるたびに警察を呼びます」と言われた。確かにときおり警官が学校内で生徒を追いかけてた。同じころアメリカ軍の低空飛行の騒音で授業が時折中段になってた。
  28. 小学校3年の時、オカンは担任の先生に「息子さんはもしかしたら知的障害かもしれない」と言われた。知能テストでIQが異常に低かったらしい。養護学校に行くことも考えたそうだ。翌年どういうわけか僕の成績は急上昇してことなきを得る。
  29. 子どもの頃の話。果物ナイフでリンゴをむけるようになったあと、オカンは普通の包丁をとりだし「今度はこれでやりなさい」とさらに1週間毎日5個づつと格闘。再び手とリンゴは血だらけになった。当然終わった頃には包丁の使い方をほとんどマスターしてた。未だにできないのは魚をおろすくらい。
  30. 子どもの頃に週1で来ていた農協の移動販売バス「ひまわり号」は大きさが路線バスくらいで客は後から入る。中は人ひとり幅の通路と両側上下、棚と冷蔵庫だらけのスーパー。運転手席の前がレジになっていてお金を支払って前から降りる。ホームランバーを仕入れるのに実に15分以上かかった。
  31. こんな夜中早朝でも普通に会話ができる某危機管理情報会社の社員と久しく電話。おかげで僕の止まっていた時計が動き出したよ。

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