- 2004年12月14日 16:00
- active in disaster:防災と災害
11月から本格的に始まった救援活動は、長岡市を皮切りに小千谷市、川口町、山古志村で展開され、発災から1ヵ月半たった現在の対象地域は川口町と山古志村の2つが主な場所となった。オカサカは12月はじめから先週まで、ニイガタの救援に行っていた。場所は新潟県川口町の「田麦山」という地区。人口400人強の小さな山奥の町だ。今回のミッションは今までの救援活動とは異なり、愛知からのボランティアを現地に迎え入れるための環境整備と調整、情報収集だった。この地域はボーダフォンの圏外でPHSも圏外、現地でボランティアが使える情報インフラもほとんどなく、インターネットから一切遮断された環境で現地の住民とボランティアと一緒に作業をしていた。結果、週末に引越しボランティアを愛知から受け入れ、ミッションオーバーしたので愛知に帰った。
「あの地域、本当にボランティアが必要なのか?」
帰ってきてそうおもう。避難所生活が先週末で終わり、仮設生活が始まった今、これ以上「わざわざ」ボランティアがすることって何なのか?と思った。このギモンの主旨は「ボランティアはもう要らない」ではなく、「現地のコミュニティは至って正常だ」ということだ。災害そのもので人間が困ることはあまりない。どちらかというと災害で避難生活が起こったり、ライフラインが止まったり、運営がうまくいかなかったり…と元々その地域がもっている問題が災害をきっかけに表出することで問題が発生する。ニイガタは住宅問題こそ深刻だが、コミュニティの健全度で言えばその辺の愛知の町よりもよっぽどマシだ。子どもから高齢者まで分離されることなくみんな一緒に行動するし、大人は子どもを大切にしているし、独居老人や一人暮らし世帯なんてほとんどないのだ。そういう状況の中で「孤独死があるから」とオドオドしながら見守っているボランティアを見ていると滑稽に思えてくる。「地震だから」と神戸の経験を持ってくるのは歓迎されるべきことだが、経験と同時に「先入観」も持ち込んではいないか?。もう少し純粋に現地を見てもいいんじゃないかと思った。
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