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2008年08月19日

カツドウ10周年。

「じゃあ僕行きます。」今から10年前、なにも考えずにその災害の救援活動に志願した。名古屋同朋大学の一室で行われた某救援ネットワークのミーティングだった。当時オカサカは大学の2年生。動機はわりと不純で「ちょっとした現実逃避」がしたかったからだ。

この日はそれなりに暑かった。当時自室のあった愛知県美浜町から電車や地下鉄やら乗ってなんで急にミーティングなんだ?と少々面倒に思いながら会議場所に向かった。当時夏休みだったその大学の構内はガラーンとしていて静かだった。部屋に入るといつもの「ネットワーク」な面々が顔を連ねている。当時のオカサカにとってはやや面倒な人たちの集まりだった。

神戸の震災や日本海の重油流出事故などの救援を、遠くであまり積極的とはいえないスタンスでしていた自分にとって、その水害のニュースもその救援のミーティングもあまり重要なことと思ってはいなかった。それよりも自分の大学に関連する周辺福祉施設にボランティアを派遣するしくみ作りの方がよほど重要だったし、それよりもアルバイトで突然命じられたデータベースシステムのクエリの勉強の方が大事だった。

「その水害」とは北関東南東北豪雨水害。1998年に栃木県北部や福島県南部に被害をもたらした水害だった。当時は災害救援ボランティアの全国ネットワーク化が強く叫ばれ、神戸の震災で実践された「**方式」といわれた類の複数のコーディネート方法がまだメソッドとして実証されていなかった頃で、神戸や大阪や名古屋や東京にいる「ネットワーク」な人たちが結構な議論や動きを精力的に行っていた頃だった。

会議の話題はたしか被害状況や関連団体の動きなど一連の説明があったあと、その栃木にある救援団体の現場でのサポート要員が不足しているため、名古屋から誰か手伝いに出てくれないか、というものだった。ボランティアの世界の話なのでもちろん強制された派遣要請ではない。

「じゃあ僕行きます。」

ちょっと沈黙が続いた後、なにも考えずに手を上げた。「気をつけて行って来なよ。」と言われ、会議は解散。オカサカはネットワークの一員のあるおじさんと一緒にミッションのための準備をした。

まずはじめにお金。これがないと何もできない。団体の口座のある銀行にいくと先に電話がしてあったのか行員さん(この人もネットワークの会員)がだまって封筒に入ったお金をこちらに手渡した。「銀行強盗みたいだったなぁ」とおじさんと会話しながら車に乗り、あとはそのお金で必要なものをそろえなさいと言われ、足りないと思しきものを一通りそろえ、自宅に帰った。この時まさか自分がこの「装備」の作業を幾度と無く繰り返す立場になるとは思ってもみなかった。ましてその装備の中にたまたまバイト用で貸与されていたノートPCを入れたのがその後を左右するとは思っても見なかった。

その運命の機種は「COMPAQ ARMADA 1590DT」。そこにMSOffice97のProが入っていて、なぜかバイト作業用にMSAccessの2.0を入れ、ブラウザとメーラと当時IEのおまけでついていたFrontPageExpressが入っていて、2つあるPCカードスロットに56Kモデムが1枚入っていた。このときKENWOODの携帯電話を持っていたが、まだそれでモバイルはしていなかったと思う。

結局そのマシンを所持していたことがいいもわるいも仇になり、現在の「ケーンオカサカ」の原型になるミッションがこのあと行われた。現地から帰ってきたオカサカは災害救援活動に情報デバイスが使えないかと考え始める。それが今からちょうど10年前。

投稿者 keitoc : 2008年08月19日 14:11


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