« 腕のあの場所が腫れる | メイン | 「緊急発行!レスキューナウ特派員現地報告」 »

2008年06月03日

生命とIT

あいかわらずコンソールの傍らで連日四川やミャンマーの救援情報を見たり聞いたりしている。災害情報とは言うが結局のところ如何に命を護れるかである。以前から「天の声」とはどんなものかイメージしていたがそろそろそれが技術的に可能な時代になったような気がする。命を護るあるいは悲しみを鎮めることが直接的にも可能だとして、その具体的な仕組みを考える前にそもそも命(あるいは血の通った)とは何だったかを考えなくてはいけないような気がする。しかもやや工学的に。家族とのコミュニケーションをあるいはモーニング作業をどう支援できるか。生きていくためのリソースをどう導き出すか、そういった情報を入れる器に何が最適なのか。

投稿者 keitoc : 2008年06月03日 08:44


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kennokasaka.com/mt/mt-tb.cgi/564

コメント

うむ。
切り口を感情ではなく、理性に求めれば、より多くの人の心を救える、ということなのかな?

 こんだけ複雑な世の中なら、分かる気がするね。
…ところでいつ呑む?

投稿者 naga : 2008年06月04日 23:58

コメントしてください




保存しますか?