« 沈黙 | メイン | 腕のあの場所が腫れる »
2008年05月19日
遺体の扱いとモーニング、そしてITは何ができるか。
最近海外の災害が多い。ミャンマーや中国など、この数週間の間に何人の人が死んだかと思うと、何もできなくなるような気分の重さになってしまいそうになる。そうは言っても仮にも災害情報が仕事にすらなっている自分の状況からして、それを避けて通るわけにもいかない。
今朝我が家に配達された新聞(サンケイエクスプレス)には中国大地震の現場で国際緊急援助隊が発見した母子の遺体に全員整列して黙祷をしているシーンがあった。記事は日本の国際緊急援助隊が礼儀正しく整然と救出活動を行うのを見たり知ったりした中国世論(特にネットの)が反日の態度を変えつつあり「日本の人格や防災や地震対応の活動を学ぶべきだ」との意見があると伝える記事だった。(もちろんそればかりではないのだろうからこの記事はこの記事で話半分にして理解しなくては行けないとも思ったが)
この記事をみてふと思ったの名古屋空港で以前起こった中華航空機の墜落事故こと。あのとき中国人の犠牲者が多い中、遺体を丁寧に取り扱った日本側の警察や消防関係者に対して遺族が感謝したというエピソードがある。国によって遺体の扱い方は違うようだが、
日本のそれはかなり丁寧な取り扱いの様だ。遺体の取り扱いは残された家族のモーニング(=喪)の作業に大きく影響を与える。家族がなぜ死んでしまったのかなど理由を理解するまでに時間がかかり、ゆっくりとそれを消化しようとしていく。遺体(の一部)がない/粗末に扱われた、などと言うことがあれば、当然モーニングの作業に支障を来す。
一方神戸の震災に対比させるように「中国ボランティア元年」を期待する人もいる。自主的に若者が救援活動に参加するような動きが国内にでているのだそうだ。おたがいさまや(良い意味での)パトリオティズムが少なからずそういう場所に人を向かわせているのだろうとも思う。政治的な「日中関係」とはちがった市民のチャンネルでの相互関係がはじまるのかもしれない。
大規模に災害が及ぶとどのようになるのか_という点においては東海地震などをふまえて日本もまた中国でのこの出来事をしっかりと傍らで支えながら見ていかなくてはいけない。建物の耐震性の悪さや様々な要因が今回の広規模な被害を引き起こしたのかもしれないが、震源から遠い場所でも被害があり、さらにその奥の地域へのアクセスが悪い_という状況はしっかりと記録/ノウハウとしてきちんと見ておかなくてはいけないと思う。(そうは言ってもまだ応急フェーズだ。まずは救助活動を応援するほかない。)
ところでITはこんな状況の中、何ができるのか。まずはひたすら記録しストレージに保存していく作業だろうか、それともどこかに伝える作業だろうか。誰に伝え、伝えることそのものに何の意味があるのか。一方で災いを避けるための「天の声」は人間の手で作ることができるとも確信しているが。今は現場のことが気になりすぎて、それについて何も考えることができない。
投稿者 keitoc : 2008年05月19日 00:02
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kennokasaka.com/mt/mt-tb.cgi/562
コメント
こんにちは。私は、中国の若者たちの自発的救援活動の様子をブログにある記事から引用して掲載しました。また、この記事では中国の若者を80後世代(18歳から29歳、80年代以降に生まれた世代のこと)としてひとくくりにして述べていますが、私は中国の80後世代を三つの層に分類しており、この観点から若者をひとくくりにして述べるのは間違いであるばかりではなく、混乱を招くという観点でこの分類に関しても掲載しました。是非ご覧になってください。
投稿者 yutakarlson : 2008年05月27日 13:34
↑「この記事」と書いてあったのでちょっと驚いたのですがJANJANの記事のことのようですね。
http://www.news.janjan.jp/
【四川大地震・現地特報】「80後」世代ボランティアの援助活動に同行
http://www.news.janjan.jp/world/0805/0805260933/1.php
確かに私の記事でも「中国人」とひとくくりにしてしまっているのでしょうし、そんな私も日本人の「団塊ジュニア」層?なのでしょうし、その分類、中国のボランティア事情を理解するには必要な内容だとは思います。
投稿者 オカサカ : 2008年05月27日 18:43
